「かみしばい 水子貝塚物語(みずこかいづかものがたり)」
最終更新日:2019年2月15日
かみしばい「水子貝塚物語」
かみしばいはぜんぶで10枚です。モリとカヤが縄文時代にタイムスリップ。絵は鈴木治子さんが水子貝塚をイメージして描きました。クリックすると拡大できます。プリントして利用もできます。
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貝ひろい
春のころです。モリとカヤは遠浅の続く水子の海に潮干狩りに出ました。ここではヤマトシジミ・ハマグリなどが取れ、カキもとりに行きます。さっそく土器でお湯をわかし、とれた貝を入れます。すぐに貝の口が開き食べることができました。たくさんとれたら貝を天日干しにして、保存食や他のムラとの交換品にしました。水子縄文ムラにとって、春は、一年の中で最も忙しい季節です。
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海での漁
夏。水子ムラ下の海に丸木舟でお父さんたちが漁にでます。シカの骨をけずって作った、モリで魚を突きます。この日はクロダイとスズキが岸に近づきたくさんとれました。草を編んで作った網を利用しての漁もおこないました。潜って突くこともありました。モリとカヤはこんなお父さんたちをとてもたくましく感じました。
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木の実ひろい
秋になりました。空はどこまでも青く、すみきっています。水子ムラも見渡すかぎりの紅葉で、流れる風がここち良く感じられます。クリ・クルミ・ドングリ類がたくさんとれました。保存できるので冬の貴重な食料になります。縄文時代の主食です。
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狩りのようす
冬のある日の夕方、真っ赤に燃えるような夕焼け空です。水子ムラからも富士山がくっきり見えます。明日は絶好の狩りの日です。家の中でお父さんは弓矢で使う矢じりをシッカリ矢に固定していました。翌朝、ムラを囲む森の中に入っていきました。連れていった犬がほえました。シカです。男たちがいっせいに矢を放ちました。シカに近づき石おのや棒でとどめをさします。
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土器づくり
よく晴れた冬の日です。水子ムラの女の人たちが集まり土器づくりが始まりました。土器は
1,木の実などの食料を保存しておくためのもの。
2,水をたくわえておくもの。
3,にたきにつかうもの。
など生活になくてはならないものでした。縄文時代の最も大きな発明でした。
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石器づくり
家族が生活するためには道具となる石器も必要です。弓矢の矢じりなどするどい刃物に使う石には黒曜石という石が便利でした。キラキラ光り加工しやすい石なのでどの家族でもほしいものでした。でも水子周辺ではこの石はとれません。いくつもの峠をこえて黒曜石の産地まで出かけ、海産物と交換したりしてきました。
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家づくり
水子ムラは海を見渡せる展望のいい台地の上にあります。近くにはきれいなわき水もあるためムラの人々はここが気に入っていました。中央の広場をとりかこむようにタテ4~5メートル、ヨコ5~8メートル、地面を80センチメートルほど掘った竪穴住居を建てました。4~6本の柱を立て、横木をわたします。床はよくふみかためられ、奥には火をたく炉があります。家の出入口は南の方を向いて冷たい風がふきこまないようになっています。冬でも暖かくすごせました。
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家族団らん
モリとカヤはお父さん・お母さんと4人くらしです。夕暮れになると家族そろって食事です。お母さんはいろりの上で、お父さんがとってきた魚を焼きます。貝を土器で煮ます。お父さんが大きな動物をしとめた話や、石器に使う黒曜石をとりに遠くまで行った時の話などお父さんは自慢げに話します。煙が家じゅうにたちこめました。お母さんは「こうして煙がたつおかげで、虫が家に近寄らなくなるのよ、それに天井から魚や肉をつりさげていくと、長持ちするのよ。」と教えてくれます。ふたりは家族で話す団らんが大好きです。
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火おこし
動物は火をこわがりますが、人間はたくみに利用し、生活を向上させてきました。火は照明・調理・暖房に不可欠です。平らな板の上で棒をキリのように回転させる「もみぎり」や、ノコギリのようにこする「火のこぎり」などの方法でおこしました。モリとカヤもやってみますがなかなかうまく火がおきません。
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死とまじない
水子ムラの人が急に亡くなりました。ムラの長老が人々を広場に集めました。病気がひろがらないように女性がお祈りをささげます。死んだ人は生きてる人にわざわいをおこさないように遺体を折り曲げ、ヒモでグルグルしばりました。悪い霊が外にでないようにということです。ムラ人全員でお祈りをして、使わなくなった古い住居にていねいに埋葬しました。
おしまい
縄文お父さんと水子貝塚のイヌ Bow wow