富士見市の民俗文化財
最終更新日:2022年10月12日
富士見市で受け継がれる郷土芸能について
現在、富士見市内に伝わるお囃子や獅子舞、神楽などの郷土芸能のうち、5つのお囃子と2つの獅子舞は、無形民俗文化財として富士見市の指定文化財に指定されています。
無形民俗文化財は、地域の文化と結びつきながら、人から人へと受け継がれてきた技術そのものであり、それらを保存し伝承していくためには、担い手となる人々と、地域の力が不可欠です。
富士見市では宅地開発が進行しており、農地から住宅地へと大きく姿を変えた地区もありますが、時代の中で変わらず受け継がれてきたお囃子や獅子舞、神楽などの民俗文化財についても是非知っていただき、それらが披露される地域のお祭りや、市民祭りなどに足を運んでいただければと思います。
市内の獅子舞
獅子舞は、恐ろしい姿をした想像上の動物である獅子の霊力で悪者や邪気を追い払い、家内安全、五穀豊穣、悪疫退散を祈る民俗信仰です。
このため、疫病の流行しやすい夏や、収穫の季節である秋を主として行われています。
獅子舞には、大きく分けて、1頭の獅子を1人で演じる「一人立(ひとりだち)」と、2人で演じる「二人立(ふたりだち)」がありますが、埼玉県内に伝わる獅子舞は「一人立」の獅子が、3頭1組となって舞うタイプのものが多く知られています。
富士見市内に伝わる獅子舞も例外ではなく、渡戸地区に伝わる「鶴馬諏訪神社獅子舞」、下南畑の馬場・八幡地区に伝わる「南畑八幡神社獅子舞」の2つは、どちらも一人立の獅子が、男獅子・中獅子・女獅子の3頭1組となって、太鼓を打ちながら舞うものです。
3頭の獅子に加え、赤いお面をつけた「山の神」1人、花笠を被った「ササラ子」2人、「高張り提灯持ち」2人、数人の「歌唄い」「笛吹き」によって構成され、竹竿と幣、注連縄で区切られた舞場で舞われます。
鶴馬諏訪神社獅子舞
市内渡戸地区に伝わる鶴馬諏訪神社獅子舞は、少なくとも江戸時代の寛政11年には行われていたことがわかっています。
また江戸時代に大田道灌による検地が行われた折、疫病に苦しむ村人へ獅子舞が伝えられ、それを諏訪神社に奉納したところ、疫病が急に収まったという伝説も残されています。
現在は「渡戸獅子会」として活動し、8月28日の諏訪神社例大祭で奉納されています。
「鶴馬諏訪神社の獅子舞」(作成:富士見市難波田城資料館)
南畑八幡神社獅子舞
下南畑の馬場・八幡地区に伝わる南畑八幡神社獅子舞は、江戸時代末期ごろにはすでに行われていたと言われています。
前述の鶴馬諏訪神社獅子舞とともに、昭和30年代には後継者不足などから一度は中断しましたが、地域の人々の努力によって再興され、現代まで伝えられています。
現在は「南畑八幡神社獅子舞保存会」として活動し、獅子舞の奉納は休止していますが、南畑八幡神社の祭礼や、市民祭りなどで獅子頭の展示を行っています。
「南畑八幡神社の獅子舞」(作成:富士見市難波田城資料館)
市内のお囃子
お囃子は、神霊を神社から祭りの場に運ぶときに「囃す(はやす)」音楽が起源だと言われます。
大太鼓、締め太鼓、金属製の打楽器である鉦、笛などで演奏される曲目に合わせ、獅子やおかめ、ひょっとこなどが踊ります。
富士見市内で確認されている6つのお囃子のうち、現在活動中なのは、勝瀬囃子、水子上組囃子、水子城之下組囃子、水子石井囃子、中水子囃子の5つで、これらはいずれも東京都千代田区の祭囃子である「神田囃子」の系統に属するものです。
東京で生まれたお囃子の流派が富士見市へ伝わってきた背景には、かつて川越と江戸を結ぶ重要な交通路だった、新河岸川と舟運の歴史があるのかもしれません。
「富士見のお囃子」(作成:富士見市難波田城資料館)
勝瀬囃子
勝瀬地区に伝わる勝瀬囃子は、明治4年ごろ、現浦和市の大久保村から伝わったと言われています。
また、踊りは市内の神楽師である、齊藤太夫より教えを受けたと言われています。
勝瀬囃子の演奏する「屋台」は、上り調子で歯切れがよいことが特徴で、「喧嘩囃子」とも呼ばれました。
現在は「勝瀬囃子連」として活動し、4月10日の榛名神社例大祭、8月28日の諏訪神社例大祭、12月31日の榛名神社祭礼で、それぞれ奉納されています。
「勝瀬囃子の演奏」(編集:富士見市教育委員会)
水子上組囃子
大字水子の北側にあたる、水子上組地区に伝わる水子上組囃子は、江戸時代の嘉永年間に伝えられたとされます。
明治39年に記された資料では、ゆるやかな曲であったとされていますが、現在はテンポの良い演奏もなされています。
現在は「水子上組囃子連」として活動し、7月15日に近い日曜日に行われる天王様の祭礼、12月31日の氷川社での祭礼で、それぞれ奉納されています。
「水子上組囃子の演奏」(編集:富士見市教育委員会)
水子城の下組囃子
大字水子の城の下地区に伝わる水子城の下組囃子は、東京都小石川でお囃子を習ったと伝わる志木市の高橋氏より、明治35年から38年にかけて伝授されたと言われています。
それ以降伝えられてきた曲目に加え、平成に入ってからも新たな曲目・演目を加えています。
現在は「水子城之下組囃子連」として活動し、7月15日に近い土・日曜日に行われる八雲神社祭礼で奉納されています。
「水子城の下組囃子の演奏」(編集:富士見市教育委員会)
水子石井囃子
大字水子の石井地区に伝わる水子石井囃子は、江戸時代末期の万延元年(1860)に伝えられたとされています。
三芳町竹間沢の神楽師前田太夫から、一年間をかけて石井の人々に伝授されたと伝わっています。
現在は「水子石井囃子保存会」として活動し、7月15日に近い土・日曜日に行われる八雲神社祭礼で奉納されています。
「水子石井囃子の演奏」(編集:富士見市教育委員会)
中水子囃子
大字水子の南西側、山王坂の氷川神社で奉納される中水子囃子は、江戸時代末期の万延元年(1860)にはすでに行われていたとも言われています。
現在は「中水子囃子保存会」として活動しており、5月5日に行われる平心講(お獅子様)などで演奏を行っています。
宮昇殿(みやしょうでん)、大昇殿(おおしょうでん)という曲目も演奏曲目に加えており、市内では数少ないものです。
「富士見の平心講」(作成:富士見市難波田城資料館作成)
平心講(お獅子様)とは、上尾市の八枝神社から獅子頭の入った神輿を借り受け、悪疫退散を祈るお祭りです。
現在は神輿とお囃子は地区を巡らずに、お囃子は神社境内で奉納されています。
市内の里神楽
神楽は、神を祭るときに奉納する舞楽です。宮廷に伝わる「御神楽(みかぐら)」に対して、民間に伝わる多くの系統を総称して「里神楽」と呼びます。また、里神楽のことを指して「お神楽」とも呼ばれることもあります。
里神楽は、「太夫」と呼ばれる神楽師が神社から依頼を受け、演目に合わせて助演者である「出方(でかた)」を集めます。
この太夫と出方の集まりを「社中」と呼びます。
富士見市内では、かつて上南畑の鈴木太夫と、鶴馬の齊藤太夫が里神楽を奉納していました。
上南畑の鈴木太夫は、初代から三代目まで続き、昭和43年ごろまで奉納されていました。
鶴馬の齊藤太夫は、初代から六代目まで続き、現在は六代目齊藤太夫のお弟子さん達が、「齊藤社中」として各地での奉納を受け継いでいます。
里神楽(齊藤社中)
鶴馬の齊藤太夫は、「相模流」の神楽を名乗っています。東京方面で行われている江戸流と比較すると、足の運びが大きく、踊りが大きく見えることや、江戸流のように笛を早く吹くことはしない、などの点が異なるとされます。
2000年代に6代目齊藤太夫は他界されましたが、齊藤家に伝わる衣装や道具、演目や曲目はお弟子さん達に受け継がれ、「齊藤社中」として各地で奉納が続けられています。
市内においては、勝瀬榛名神社や上鶴馬諏訪神社の祭礼で奉納されています。
「富士見の里神楽~鶴馬の齊藤太夫~」(作成:富士見市難波田城資料館作成)
実際に見学するには
このページで紹介している富士見市の民俗芸能は、神社の祭礼に伴って奉納されるほか、各地区のお祭りや、市民祭りなどで披露されています。
神社への奉納については、例年の日取りや場所などをまとめた、「富士見市郷土芸能カレンダー」もご参考にしていただければ幸いです。
富士見市郷土芸能カレンダー(PDF:2,391KB)
また、文化財の映像記録のページからも、民俗芸能の動画を公開中です。
なお、現在はコロナウイルス感染拡大の影響もあり、例年とは日付や内容が異なる場合があります。
詳細については、下記お問い合わせ先までご確認ください。
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