No,17・・・富士見に残る林
最終更新日:2019年1月25日
昭和30年代の大都市への人口集中に伴い、郊外の富士見にも都市化の波は急速に進みました。かつて武蔵野では、ケヤキやカシなどの樹林が典型的な農村風景を形づくっていましたが、今では寺社林や屋敷林などにわずかに残るのみとなってしまいました。今回はかつての武蔵野の風景を思い起こさせる市内の雑木林をご紹介します。
富士見に残る屋敷林
農家の敷地内に家を囲むようにつくられた樹林は屋敷林と呼ばれ、ヤマとも呼ばれています。屋敷林は敷地の境界を示すだけでなく、季節風の強い地域では防風林として、また防火の役目なども果たしていました。落ち葉は堆肥として、枯れ枝は燃料としても当時の農家の生活には欠くことのできないものでした。また、ケヤキは堅く耐水性もあることから、建築用材や建具としても重宝されていました。
右の写真は、鶴馬に残された屋敷林です。
御林
貝戸の森
江戸時代に記された『鶴馬古絵図』を見ると、御林の文字がいくつか見ることができます。これは江戸幕府の管理下にあった山林や諸藩が抱える同様の山林のことを言います。市内では台地の奥部にあたる鶴瀬東・鶴瀬西・上沢の地区に集中しており、それぞれに「柿沢御林」「殿山御林」などと呼称がつけられていました。この地域は川越藩領に属していましたので、藩が新田を開発する際に燃料や肥料を確保するために造成したと考えられています。殿山御林については現在の富士見台中学校が建つ高台にあたり、今では宅地造成されその風景を見ることはできませんが、権平川沿いに広がる柿沢御林は記録上では約14,000平方メートルにもおよび、現在の緑の散歩道「権平山」「貝戸の森」周辺にあたります。今なお残る雑木林はその名残でしょうか。
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