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No,6・・・新河岸川を歩く(3)

最終更新日:2019年1月25日

木曽目堤

木曽目堤の画像

木染橋付近から浦和所沢バイパスに続く市道は、旧新河岸川当時からの堤防である木曽目堤の上を走っています。木曽目堤は江戸時代前期には築かれていたようで、上流は山形樋管付近からの竹之内堤、下流は佃堤とつながり、水田の広がる場所では、現在も堤の形状がよく残されています。

南畑三村と下流の佃堤のある宗岡村(志木市)とは、天明6年(1786年)の大水害で竹之内・木曽目堤と佃堤の水はけや堤の高さをめぐって幕府評定が行われるほどの争いがありました。こうした争いは幕末まで洪水のたびに繰り返され、堤は村にとって重要なものであったことがわかります。


新河岸川沿いの水神碑

新河岸川沿いの水神碑の画像

現在の新河岸川左岸の土手上に水神碑(水神宮)があります。この碑は、明治35年(1902年)に、水子・南畑・宗岡村の漁業組合関係者などによって建てられました。水神碑は、文字通り水の神に関わるもので、市内の水神碑は新河岸川沿いに多く見られ、漁業のほか舟運に関わって建てられました。


山下河岸

新河岸川
新河岸川の流れ(右岸に山下河岸、左岸に水神碑)

水神碑の対岸には、山下河岸がありました。江戸時代中ごろには開設され、茗荷屋と山田家の二軒の船問屋が東京方面からの塩や糠・灰・下肥を降ろし、所沢・三芳方面からの穀類・薪・野菜などの積み込みを行っていました。

現在は河岸の面影を見ることはできませんが、船着場付近の地形が斜面林の中にわずかに残っています。


案内図

地図
下南畑・水子地域と新河岸川

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