新指定文化財展 平安時代の銅鋺
最終更新日:2025年1月31日
展示紹介
展示風景
氷川前遺跡から発見された銅鋺は、令和6 年2 月に富士見市指定有形文化財となりました。このたび、保存処理を終えたので、銅鋺と、その歴史的評価に関わる資料を紹介します。
展示場所:資料館展示室
展示期間:令和7(2025)年1月25日(土曜日)~3月2日(日曜日)解説パンフレット(PDF:3,258KB)
集落跡からこのように完全な形の銅鋺が見つかることはまれです。厚さ約1ミリでとても薄く仕上げられています。
銅鋺が見つかった氷川前遺跡では、過去の調査でもこの地域の古代の集落ではまれなものが見つかっています。
多摩地方から運ばれた凝灰岩(ぎょうかいがん)の切り石です。カマドの部材として使われたようです。長さは約99センチもあります。
「得子」という字(くずし字)が墨で書かれた土器です。同じ言葉を書いた土器が多数見つかっています。
「厩」(うまや)という字を、窯で焼く前の土器に刻んだ土器です。特注品の可能性があります。
銅鋺が見つかった場所は、氷川前遺跡第95地点52号住居跡という竪穴(たてあな)住居跡です。
あまり大きな住居跡ではありません。
この住居跡からは10世紀後半から11世紀初めころ(藤原道長や紫式部が生きていたころ)の土器が見つかっています。
このころ、三芳町新開遺跡や富士見市栗谷ツ遺跡など、近隣で須恵器(すえき。土器の一種)の窯が築かれており、この住居跡の土器も、それらの窯で焼かれた土器に似ています。
銅鋺と同じ住居跡の出土土器です。
「本」という字(くずし字)が墨で書かれています。同じような字を書いた土器は、約1キロ南にある東台遺跡でも見つかっています。