戦争資料の展示について(パンフレットも公開しています)
最終更新日:2023年7月28日
難波田城資料館は、常設展示室「戦争と富士見」のコーナーで、市内の戦時下の暮らしなどを紹介しています。
また、毎年、7月上旬のピースフェスティバルに、戦争に関する資料を出前展示しています。
平成27年度には穀倉展示「70年前に戦争があった」を開催しました。
これらをまとめた展示図録『70年前に戦争があった -富士見も戦場だった- 』(令和5年改訂、第2版)(PDF:5,065KB)もあります。
図録や資料は、学校の授業や平和学習に活用をしていただきたいと願っています。
実物資料や精細な写真の利用をご希望の際は、資料館にお問い合わせください。
資料館常設展示「戦争と富士見」コーナー
展示資料
- 鶴瀬村動員関係綴
- 奉公袋
- 日章旗寄せ書き
- 千人針
- 戦時国債
- 衣料配給切符
- 配給備忘録
- 防空頭巾
- 爆弾破片
- 終戦前後の日記
ピースフェスティバルの出前展示
以下の写真は、過去の展示の記録です。令和5年のピースフェスティバル(7月29日~30日)では、爆弾破片を展示します。
出征者と戦死者(1) 出征者の生還を願って贈られた、千人針と日章旗などです。
出征者と戦死者(2) ある出征者の軍隊手帳から、行軍の記録などをたどりました。
出征者と戦死者(3) 出征者を送るときに使われた旗や、軍服と背嚢です。
出征者と戦死者(4) 富士見市から出征して、戦病死した方の戦没地は、アジア太平洋の各地にわたります。
戦時下の人々の暮らし 村に残った人々も、供出や奉仕活動、訓練など、生活の全てが戦争優先になりました。
学校日誌に残る戦争 小学校に残されていた学校日誌には、授業よりも訓練や勤労奉仕が優先になった様子や、空襲の対象の東京から避難してきた子どもたちにより、児童数が急増したことなどがわかります。そして、市内への空襲で在校生が亡くなったことも記録されました。
市内にも空襲があった 昭和20年(1945)4月2日、市内上空を通った数機の爆撃機が、市内各所に爆弾を落としました。関沢地区に落とされた爆弾は、民家を直撃するとともに防空壕も押しつぶし、多くの命が失われました。
戦争体験を残す 市内で書き留められた、多くの戦争体験記録集を紹介しています
戦前と戦後の70年 明治時代から太平洋戦争までの戦争が多い70年と、戦後の70年を対比した年表です。
難波田城公園周辺地図
難波田城資料館
埼玉県富士見市大字下南畑568-1 電話:049-253-4664